□洛西の和歌に詠まれた地名、歴史に登場する地名
(日本歴史地名大系「京都市の地名」より抜粋)
 
大原野一帯は、古くから和歌に詠まれた歴史的地名を多く持つ。
<大原野・小塩山>
大原野は、「歴史的には、小畑川と善峰川に囲まれる小塩山東麓の谷口扇状地一体をさす地名。

延暦十一年(792)二月十八日桓武天皇が「遊猟置 大原野」(類聚国史)と出るのが早く、大原野は、歌枕1でもある、「古今集」巻十七に「二条の后のまだ東宮の御やすん所と申し上げる時に大原野に詣でたまいける日よめる」と詞書して、在原業平の
 
おおはらや 小塩の山も 今日こそは かみよのことも 思ひいづらめ
 
(大原野の小塩山も、今日というこの日には、神代のことも思い出すことでありましょう。新日本古典文学大系より)を載せるが、この歌は、「伊勢物語」、「大和物語」にも出る。」
 
小塩山は、歌枕である。「左大臣の家の男子女子、冠し、裳着侍けるに、
 
大原や しほのこまつ原 はや木高かれ 千代の影みむ 紀貫之(後撰集)」
 
(大原の小塩の山の小松の原は早く木高くなりなさい。千年も栄え茂るその蔭を見たいと思いますので。新日本古典文学大系より)
 
 
相生の をしおの山の 小松原 いまより千代の 影をまたなむ 大弐三位(新古今集)」
 
(新日本古典文学大系より)
 
 
千代までも 心してふけ もみぢ葉を 神もをしほの 山嵐の風 藤原伊宗(新古今集)」
 
(新日本古典文学大系より)


 
をしお山 神のしるしを 松の葉に 契りし色は かへるものかな 慈円(新古今集)」
 
 
神は大原野神社である。
 
(新日本古典文学大系より)


<小畑川>
「近世では、「山城名勝志」に苧畑川、「聖蹟図志」に苧波多川と記している。」
 
 
<大枝山>
「大江山は歌枕でもある。万葉集巻十二に、
 
丹波道の 大江の山のさね蔓 絶えむの心 我が思はなくに
 
があり、勅撰集では、「金葉集」に、和泉式部の娘子式部内侍の
 
大江山2いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立
 
が逸話とともによく知られている、・・・
大江山を越えるとは、山陰道の老いの坂の峠を越えて山城から丹波に向かうことである。」
 
 
1)「「歌枕」は、平安時代の中頃では、和歌の注釈や枕詞・名所などを記した書物の意で能因法師の「能因歌枕」などが有名である。以後、歌に良く出てくる名所の説明をした書物を指すようになり、そこから転じて、もっぱら「歌によまれる名所」の意に用い
れるようになった。」(「古語例解辞典」小学館より)
2)大江山については、洛西の大枝とする説と、与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる大江山とする説がある。